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Kim Boutin & David Broner

DVTK
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DVTKは、ロンドンを拠点にKim Boutin(キム・ブタン)とDavid Broner(デイビッド・ブローナー)よって設立されたデザインスタジオ。スタジオ自体は2015年5月に設立したばかりだが、Davidの3Dデザインの知識とKimのインターフェース、ユーザーエクスペリエンスデザインの知識を元に、パリの名門アートスクールオリヴィエ・ド・セールの1年目からコラボレーションをしているのでお互いのことよく理解し合っている。

わだかまりを感じていた2人の学生が始めたサイドプロジェクトが、今では存在感を放つデザインスタジオへと成長し、彼らが作るクリエイティブなデジタル体験は多くの人から絶賛されている。DavidとKimはWAH Nails、3INAのようなインディペンデント系の会社や、Kenzo、Diorのような大きい企業まであらゆるクライアントと仕事をしている。また、彼らの信念と創造力が生み出す彼らの作品はやはり卓越している。このインタビューでは、彼らがDVTKの立ち上げから、彼らの仕事に与える影響、彼らがDVTKへとたどり着くまでのそれぞれのストーリーまでを語ってもらった。

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まず、DVTKについて教えてもらえますか?

David Broner: DVTKはデジタルワークを専門としたデザインスタジオです。僕たちはロンドンをベースに2015年5月に設立し、ここへ引っ越してきました。1普通のウェブサイトではなく、ウェブサイトとしてビジュアル世界を創造することをモットーにしています。DVTKは主に二つの専門分野によって成り立っています。僕は3Dデザイナーで、アートディレクターとして動いています。なのでウェブサイトのビジュアル担当という感じですね。それと、これまでのポストプロダクション2やストーリーテリングでの経験を生かして、アニメーションもたくさん作っています。

Kim Boutin: 私はデジタルデザイナーで、これまでファッションやラグジュアリーブランドのECサイトやアプリを作っていました。このスタジオでは、私は主にユーザーエクスペリエンス、インターフェースのデザインと技術的な部分を担当しています。

それぞれの生い立ち

Kim、あなたのバッググラウンドについて教えてもらえますか?

KB:私の父はコンピューターエンジニアで、セントラルスピレック3でインフォマティクスとロボット工学4を教えています。なので幸運なことに1990年代後半、私が10代の頃からパソコンを使うことに慣れていました。当時、他の人と比べたらかなり早い方だったと思います。コンピューターに夢中になるのに時間はかかりませんでした。フォトショップで何かを作り、DeviantArt5に自分の作品を投稿したりしているうちに、インターネットで情報を拾いながら独学でHTMLやCSS6を覚え、15歳の時に自分でブログを作りました。毎月デザインを変えたりしてすごく楽しかったのを覚えています。

新しい技術に対して寛容な両親を持ったことは、私にとってとても良かったことでしたが、父がコンピューターエンジニア7で母が医者だったので、高校時代は科学を専門に勉強しなければなりませんでした。8しかしある日、姉が連れて行ってくれた美術学校のオープンキャンパスがきっかけで、ウェブデザインに出会いました。そして、オリヴィエ・ド・セール9でビジュアルコミュニケーションとマルチメディアデザインを学びました。そのあと、ゴブリン10でデジタルインターフェースデザインを学び、修士号課程が実習だったので、 Blondieというデジタルエージェンシー11でアルバイトを始めました。そこで私はChanelやHermès、Carvenといったパリのラグジュアリーブランドの担当し、デジタルアートディレクターとして1年働いた後、Kenzoのアートチームに参加することが決まりました。それは私にとって夢の仕事でした!

デイビッドについても教えてもらえますか?

DB:僕は高校の時からすでに応用美術を勉強していました。それからKimと出会ったオリヴィエ・ド・セールでビジュアルコミュニケーションを学んだのですが、あまり自分には合わなくて1年で辞めてしまいした。当時、僕は映画が大好きだったのですが、その時期にNeill Blomkamp(ニール・ブロムカンプ)監督12の『第9地区』に出会いました。この作品は、彼のビジュアルエフェクトに特化したテクニカルなバッググラウンドから生まれたことを初めて知りまして、「そうだ、これがあるじゃないか。僕は3Dデザイン、ビジュアルエフェクト、そしてストーリーテリングの道に進みたい。」と思うようになりました。

そして、最終的に北フランスのヴァランシエンヌで3Dデザインを学びました。みんなPixar13の大ファンで、カートゥーンばかりをやりたがっていたので、違和感がありました。僕にはデザイナーとしてのバッググラウンドがあったので、ブロダクトや家具、ファッションや建築などに影響を受けていました。例えば、僕が2年目のプロジェクトで作った『SUPERDREAMER』というローポリゴンで作ったアニメーションがあるのですが、14僕のクラスメートたちはそれを酷評しました。ローポリゴンの見た目に純粋に興味を持っていたんですが、おそらく、みんなはできが悪いくせに、目立ちたがり屋だなと思っていたでしょうね。

卒業後は、パリに戻ってビジュアルエフェクトの会社に就職しました。単純な作業ばかりで、アートを感じる部分がなく、僕はこの仕事を続けていける自信が持てませんでした。当時の僕の職場はまるでアリの巣でした。同じ仕事を淡々とこなし、残業の毎日。パッションがなければすごく辛い現場です。当時、僕はリアルタイムレンダリング15がどのようにしてインターネットブラウザに埋め込まれるのかということに興味を持ち、時間を見つけてはそちらに没頭していました。そんな時、Kimが2013年にKenzoの仕事をフリーランサーとして一緒にやらないかと誘ってくれたのです。

2人が一緒に働き始めたのはいつからですか?

DB:僕たちは実はずいぶん前から一緒に働いています。最初は、オリヴィエ・ド・セールで出会った頃に、遊び心から始めたコラボレーションがきっかけでした。僕たちは2人とも自分たちの勉強にとても不満が溜まっていて、僕の場合は、学校から追い出されたばかりでバーで働いてました。当時、よく何か一緒にプロジェクトをやりたいねと話していました。しかし、学校で何かクリエイティブなことができるとは思っていなかったので、僕はそれをすごく真面目に考えていました。

KB: 私も実は当時あまり学校に行っていませんでした。すごく努力してこの学校に入ったのに、想像していた学校のイメージと実際に行ってみた現実は圧倒的に違いました。幸運なことに、Davidはすでにデザインの知識がとても豊富で、彼は学校に行くよりもずっと私に良い影響を与えてくれました。結果として、学校のプロジェクトを一緒にやったのですが、そのおかげで、私は突然先生たちが驚くような素晴らしい生徒に生まれ変わったのです。しかしそれでも私は学校へは行きませんでした。なぜなら、Davidと話していた方が色々なことを学べると思ったからです。

DVTKになるまでに

どのようにして2人のコラボレーションがさらに正式なものになっていったのですか?

KB: 学生の頃から私たちは一緒にインターフェースデザイン、ブックデザインなどの
プロジェクトをやっていました。それから自分たちの仕事をオンラインに載せる為にウェブサイトを作り、その名前をDVDTKMにしました。意味は母音を除いた「DAVID ET KIM」16です。Kenzoのプロジェクトがいつくか終わったあとに、私たちは自分たちの仕事がすごくプロフェッショナルな方向に向かっていることに気づきました。 Kenzoとそのプレス周りが私たちを評価してくれたので、自分たちのコラボレーションに対して自信を持つようになりました。

DB: 振り返ってみると、僕はKimに対して強引に聞いていた気がします。でもそれはプロフェッショナルなプロポーズとも言えるのかな(笑)。今でも何が起きたのか全て明確に覚えています。僕がフリーランスの3Dデザイナーとしてのやる気を失いかけていた時に、親友にどうしたら良いのか相談したことがあります。そしたら彼は「君が1番やりたいことは何?」と僕に聞き返しました。僕はすぐにKimと一緒に働くことだと思いました。なぜなら、彼女と働くことが1番楽しかったからです。そして、彼女に一緒にスタジオを作らないかと提案しました。

Kimを説得するのは難しかったですか?

KB: それを承諾するのには、すごく時間がかかりました。Kenzoは私の大好きなブランドでそこで働くことは私にとっての夢だったからです。だから最終的にKenzoを辞めるまでに2年近くかかりました。時間をかけたことに対しては全く後悔していません。なぜならKenzoで身につけたことはDVTKで必ず糧になると思ったからです。それに、計算していたわけではありませんが、Kenzoがプロジェクトを始める最初のクライアントになるだろうと私は気づいていました。それからKenzoのウェブサイトを大規模にリニューアルするというプロジェクトに参加し、それをローンチした次の日、ついにKenzoを辞めたのです!

DB: 確かに、彼女はKenzoを離れるのにすごく時間がかかりました。僕は「今月中には辞めるんだよね?」と毎月のように彼女に尋ねていましたが彼女からの返事はいつも「ごめん、あと6ヶ月ちょうだい。」という言葉でした(笑)。

DVTKの基盤と影響

よくDVTKの目標は「インターネットをハッピーな場に」と言っていますが、由来は何ですか?

KB: それは私たちの本能みたいなものだと思います。そういう方向性でやり始めた時は、自分たちの作品を見せる機会もなかったので、やることに疑問すらありませんでした。そうすることが良いと思うから、ただやっているという感じ。私たちはコンセプトを考えたり、それを友達にみせることが大好きでした。ただ、単純でバカげたアイデアを実現させたいと思いました。17私たちの仕事が軌道に乗り始めた時、多くの人たちから自分たちの作るものが他とは違うねと言われるようになり、私たちもそれに自覚していました。ゼロからウェブサイトをデザインするのはすごくお金がかかるので、似たようなテンプレートを使っているウェブサイトがたくさんインターネット上にあることは理解できます。18しかし、デジタルデザインの分野での発展のことを考えると、とても残念なことだと思います。私たちは楽しさと遊び心を生み出すデザインによって、この現状を変えたいと思っています。

DB: 個人的にこのチャレンジはいつも、僕が絶大にリスペクトしているメンフィス19がバウハウス20に対抗した時の状況を思い出させます。将来、ARとVR21の発展によって僕たちの生活はさらにデジタル環境へと向かっていくでしょう。そして、僕は楽しく、面白くなるようなデジタル環境をデザインしていきたいと思っています。実は、僕が『SUPERDREAMER』22 を作った頃にはすでに成し遂げようとしていたのですが、DVTKでは絶対にこれを達成できると思うのです。色は人々をハッピーにする、太陽は人々をハッピーにする。そんなふうに誰かをハッピーにできるような遊び心があり、面白く、インタラクティブなウェブサイトを僕たちは作りたい。しかし、前にも言いましたが、「ハッピー」という言葉と「楽しみ」や「遊び心」が直接的にリンクしているわけではないので、このまま「インターネットをハッピーな場に」と言い続けることが良いかどうかはわかりません。幸せとはもっと複雑な概念ですからね。

現在注目されているVRやARを使用し、機能性の高い作品をデザインする技術を持っているのにも関わらず、意図的にそれとは別の方向へ行こうとしているかのように見えます。それはなぜですか?

KB: 私はDVTKで働く前にECサイトのようなとても機能性が重要視されるようなプロジェクトでたくさん仕事をしました。私はもちろん楽しんでいましたが、その分野を得意とするデザイナーは沢山いるので、あえて自分がその分野で何かを追求する理由がありませんでした。しかし、機能性を忘れないことは大事だと思います。なぜなら、機能性とストーリー性のバランスによって楽しさは生まれるからです。機能的すぎるものは面白くないし、ストーリー性を重視しすぎてしまったら、それは本来の目的を欠いてしまってアンバランスなものになってしまいます。そこにこそ、私たちのそれぞれのスキルの結合が活かされると思います。

DB: まさに、WAH Nails23のVRプロジェクトには、機能性とストーリー性のバランスがちゃんと表現されています。このプロジェクトは、明確なユーザーシナリオのもとにスタートしましたが、ネイルアートデザインの無限な可能性はカスタマーを時に困惑させました。実際の仕上がりを見ることができないので、デザインを注文する時に悩んでしまうのです。そこで、私たちはこの問題を解決するようVRを使ったアイデアを提案しました。VRを使用することで、ユーザーはデザインを試してみたり、遊び心のあるインターフェイスで色を切り替えることを可能にします。それはゲームのようなものですが、問題解決には必須でした。しかも、オシャレ好きな女の子たちがVRのヘッドセットをつけて、「oh my god」と叫ぶのはとても嬉しい光景でした。24

ゼロからウェブサイトをデザインするのはすごくお金がかかるので、似たようなテンプレートを使っているウェブサイトがたくさんインターネット上にあることは理解できます。(中略)私たちは楽しさと遊び心を生み出すデザインによって、この現状を変えたいと思っています。

作品作りを楽しくおもろしくするために何かインスピレーションを得たりしていますか?

KB: 私たちはよく遊び心について話しますが、最終的には感情によって遊び心は生まれています。そのため、合理的に理解できない、言い換えれば直感的にしか感じれない海外の文化は、遊び心ある作品を作るための大事なインスピレーションになります。また、機能的に優れているデザインを注意深く見た時にまた違うものに見えてくるということがありあます。(山下和正25の『顔の家』26のような擬人化したフロントハウスが良い例)なぜなら、必ずしも一緒に属していない二つの世界を統合し、メタ言語を介して設計することで、視聴者を驚かせその人の見え方を変えることができるからです。

DB: 私たちはよくユーモラスな要素が多い日本のデザインからインスピレーションを得ています。日本のデザインは自分たちの作品に取り組みたくなる要素が多いので自然と惹かれていきます。例えば、日本では、多くの会社がマスコットキャラクターで自社をブランディングしていると聞きました。27それは「インターネットをハッピーな場に」という私たちのコンセプトに通じる部分があると思います。日本は私たちの考えに合っているような気がします。

自分たちのプロジェクトについて、日本から影響を受けたことはありますか?

DB: 当初から、僕たちの作品には日本カルチャーの要素が多く含まれています。28例えば、OKGrl29は、任天堂Wii30や『Super Mario Run』31から強く影響を受けています。アプリゲームに関しては、ボタン、サウンドデザイン、どれをとっても全部素晴らしいと思います。リスクを恐れず、たとえ間違っていようとも、常にどうやって人々を楽しませるかということを考える任天堂の方針に感動します。任天堂はいつも楽しさを追求しており、ソニーは、技術競争を重要視していると思います。そのため、ソニーよりも任天堂の方に親近感を抱きますね。32

これからのDVTK

DVTKの長期的な目標はありますか?

DB: 成長してくにつれて、クライアントも増え、たくさんのプロジェクトに関わる機会が増えて行きますが、僕たちは最初の頃から単純なウェブサイトだけを作る代理店にはなりたくないと思っていました。最近、私たちのスタジオの壁に貼ってあるポストイットを見ながら「僕たちのやるべきことは何か?」と自分らを問いかけるようにしています。僕たちは偉大ななデザイナーであるEames(イームズ)夫妻33のようになりたいという結論に至りました。僕たちはインテリア建築から、プロダクトデザイン、家具デザインまで、彼らのプロジェクトを本当に尊敬しています。Herman Miller(ハーマン・ミラー)34のイスや、万国博覧会の展示デザイン、35そしてIBMと一緒に作ったショートフィルムのプロジェクト、36どれを取っても本当に素晴らしいです。

KB: 彼らは自分たちのキャリアの中であらゆるジャンルの仕事をしました。しかし、私たちがこの尊敬すべき姿から学ぶべきことは、彼らのはっきりとしたビジョンです。私たちは、イームズ達のようにその強いビジョンを持っている限り、どんな分野でも、どんなメディアでも、誰とでも仕事ができると信じています。未だに私たちのビジョンがしっかりと定まったわけではないので、作品を作っていく上で探りながら明確にしていこうと思っています。

この「夢」のために何か変わったことはありますか?

KB: 最近では多くの人たちとコラボレーションをしているのですが、私たちらしい働き方になりつつあると感じています。私たちはプロジェクトによって3Dやフロントエンド、アートディレクターや写真家などのあらゆる人と技術を組み合わせる仕事をしています。私たちがなにが得意でなにができないかを素直に認めるのが大切。それがロンドンに来た1つの理由ですね、パリだと少し孤独感を感じていましたから。
自分たちが代理店ではなく、2人のデザイナーであるということをはっきりさせるために、実は名前をKim&Davidに変えようと計画しています。そして私たちのビジョンを、より革新的で強くなるように洗練することに重点を置けていければいいなと思っています。

DB: 今後についてはとても楽しみですが、一つ障害があるとしたら僕たちがコントロールしすぎてしまうということですね。僕たちはいつでも自分たちが何をしているのか確実に理解したいと思っています。でもそれは、違う人たちにとって時に不愉快なことであり、負担になることがあります。そこで、僕たちはもっとクリエイティブディレクターとして自覚を持って動かなければなりません。そうすることで、私たちはもう一歩を踏み出して、よりビジョン主導のアプローチをすることができると思います。

最近では多くの人たちとコラボレーションをしているのですが、私たちらしい働き方になりつつあると感じています。(中略)私たちがなにが得意でなにができないかを素直に認めるのが大切。

最後に、DVTKはよくファッション業界と仕事していますが、他に掘り下げてみたい業界はありますか?

KB:ファッションは私たちの世界で何が起きているのかを反映させるデザインの一環なので必要な存在です。しかし、先ほども話したように私たちのデザインはもっと自由でなければいけないと信じています。また、私たちとファッションとの関係は、私の前職であるKenzoの延長線上にあるものです。これからはファッション業界だけにならないように、他ジャンルでも仕事ができたらいいなと思っています。今、私たちはeスポーツ業界37と働くことにすごく興味があります。eスポーツ業界もファッション業界と似ていて、かなり閉鎖的な市場なので、私たちを受け入れてくれるかは難しいところですね。そうはいっても、eスポーツは徐々に大きくなっており、より多くのファンへのアピールが求められています。eスポーツチームは今ではブランド化しつつあるので、これから私たちが一緒に働ける機会があるといいですね。

DB: eスポーツプレーヤーはファンにとってはある種のスターです。僕たちは彼らをスター化させるために、ウイイレ38のような、さまざまなプレーヤーを視覚化したり、服をカスタマイズしたり、スキルを見たりできるウェブサイトを作りたいです。実際、ロンドンでFnatic39というeスポーツチームで働いている友人がいるので、いつか実現したいです。

  1. DVTKはStudio Threeというイーストロンドンにあるアーティストやデザイナー、写真家などのコワーキングスペースを拠点にしていた。このスタジオは今でもFuture CorpMarc Kremers(マーク・クレマーズ)、Thomas Traum(トーマス・トラウム)やJake Dow-Smith(ジャック・ドウスミス)などが使っている。さらに、このスタジオは、Merci Marieという素晴らしいフレンチレストランも同じ建物に入っているで要チェック!
  2. Davidは、VFXの追加合成を使用した視覚効果を生むプロセスについて言及している。
  3. セントラルスピレックはフランスの最も有名な工学学校の1つ。卒業生には、エッフェル塔をデザインしたGustave Eiffel(ギュスターヴ・エッフェル)がいる。
  4. 簡単に説明すると、インフォーマティクスは情報学、情報システムといった分野を含む。である。ロボット工学には、ロボットの設計、構築、操作、使用、そして、それらをコントロールするコンピュータシステムが含まれる。
  5. DeviantArtは2000年に開設したウェブサイトで、ユーザーは自分の作品を投稿できる。
  6. HTMLとCSSはウェブデザインで広く使用されているプログラミング言語。簡単に言うと、HTMLはウェブページのコンテンツに使用され、CSSは見た目やレイアウトを決めるのに使用される。
  7. Kimは2014年のイエール国際モード&写真フェスティバルで、彼女の父と一緒にKenzoのインスタレーションに参加する機会があったこともここで語っている。この年の審査員は2012年からKenzoの共同クリエイティブディレクターであるCarol Lim (キャロル・リム)とHumberto Leon(ウンベルト・レオン)はこの年のファッション部門の審査員をしていた。
  8. フランスの高校システムでは、生徒は最後の2年間にバカロレアの準備として科学系、経済・社会系、人文系の3つの選択肢から進路を選ばなければない。Kimは両親から数学、物理学、化学、生物学などを専門とした科学系を選ばなければいけないようなプレッシャーを感じていた。豆知識:フランスではどの進路を選んだとしても必ず最後の2年間で哲学も専攻しなければならない。
  9. 国立応用芸術工芸高等学院は、アートとデザインを専門にした学校。略して、オリヴィエ・ド・セール学院と呼ばれ、パリの15区にある。
  10. ゴブリンは、ビジュアルアートに特化しているパリの学校。歴史的には、写真とアニメーションでよく知られているが、最近では日々の生活環境がデジタル化に対応できるようマルチメディア学科などに力を注いでいる。
  11. Blondieは主にファッションや大企業をクライアントにデジタルプロジェクトをメインにしているクリエイティブエージェンシー。2010年に創立し、現在、パリ、上海、ミランにオフィスを構えている。
  12. Neill Blomkamp(ニール・ブロムカンプ)は、南アフリカ出身でカナダ在住の映画監督、プロデューサー、脚本家、アニメーターである。
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    Davidが述べている通り、かれは3Dアニメーターとしてキャリアをスタートし、『スターゲイト SG-1』や『Mercy Point』を担当した。2000年代初めにいくつかのショートフィルムを作った後、アニメーターとしてスタートしてから10年後の2009年に、彼はついに彼の妻と共同で作った最初の長編映画『第9地区』を発表。
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    この作品は高く評価され、アカデミー賞4部門でノミネートされた。『第9地区』では、人道、異民族嫌悪、人種隔離などのテーマを、収容所から脱出しようと試みるエイリアンの話を設定に南アフリカの歴史を物語っている。この映画のタイトルは、アパルトヘイト政権時にケープタウンの「ディストリクト6」と呼ばれる地域から6万人の黒人居住者を強制的に撤去したことに由来してる。
  13. Pixarは、ウォルトディズニーグループのひとつで、『トイ・ストーリー』、『Mr.インクレディブル』、『ウォーリー』など数多くのヒット映画を生んだアメリカのコンピューターアニメーション映画スタジオ。
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    アニメーション映画のパイオニアの一人として知られているピクサーアニメーションスタジオの現在のチーフクリエイティブ・オフィサー、John Lasseter(ジョン・ラセター)についてのショートドキュメンタリーは下記から見ることができる(英語のみ)。
  14. 『SUPERDREAMER』の動画は下記から。Davidの作品はメディアから高く評価され、Vimeoからあの有名な「Staff Pick」で紹介されるだけでなく、VICEのキューレータープロジェクトでも特集された。
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  15. リアルタイムレンダリングとは、視聴者がバーチャルな環境に適応できるようにコンピュータグラフィックを素早く作ることである。ビデオゲームやVRはリアルタイムレンダリングによって作られたデジタル環境のいい例である。
  16. 「ET」はフランス語で「と」という意味。彼らの昔のウェブサイトはここでまだ見ることができる。ロンドンに移ったばかりの時に作った古いプロモーションビデオは下記にて見ることができる。
  17. これらの 「単純でバカげたアイデア」のひとつとして、DVTKがデザインした Fornasettiのエラーページ(下記)がある。キムは、「このプロジェクトにはたくさんのアイデアがありました。ある時、バルーンをオナラの音で破るのが面白いんじゃないかと思い、Davidがオナラの音を探しました。そしてやっと良い音を見つけたのですが、実際に使用してみたら気持ち悪くて結局それは使いませんでした(笑)」と語っている。
  18. 優れたデザインをセレクトしてウェブに掲載することで有名なsiteinspireのようなサイトもある。興味深いデザインももちろんあるが、キムの言う通りテンプレートを使っているせいで類似して見えるものが多いのも事実。
  19. メンフィスは1981年にイタリアの建築家・デザイナーであるEttore Sottsass(エットレ・ソットサス)が結成した多国籍からなるデザイナー集団である。
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    アートデコやポップアートの影響を受け、デザインの中にユーモアを生み、カラフルなデコレーションと非対称性を用いることでバウハウスなどのミニマリズムへ反発した。
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  20. バウハウスは、20世紀のもっとも重要な芸術運動として位置付けられており、1919年から1933年にワイマール、デッサウ(下図)、ベルリンで最初に始まったドイツの工芸学校である。クラフトとファインアートを結びつけ、建築、グラフィックデザイン、インテリアデザイン、インダストリアルデザイン、タイポグラフィーなど幅広いジャンルに印象的な影響を与えた。バウハウスは、ナチス政権によってドイツが支配されていた時、逃亡したメンバーによってその国際的に活動の幅を広げた。その影響力は、西ヨーロッパからアメリカ、カナダそしてイスラエルにも及んだ。イスラエルにあるテルアビブの「白い都市」には4000以上ものバウハウス様式の建物が建てられている。
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  21. ARとVRは、「augmented reality」と「virtual reality」の略。ARはリアル世界とコンピュータで作られたコンテンツの組み合わせで、VRは実際リアルな世界が完璧にシュミレーションされたものである。
  22. 『SUPERDREAMER』については14の脚注を参照。
  23. WAH NailsSharmadean Reid(シャーマンディーン・リード)がロンドンにオープンしたネイルサロン。ブランド自体は、2006年に彼女がセントラル・セント・マーティンズファッションコミュニケーションを学んでいる間に女の子のためのヒップホップマガジンとしてスタートした。卒業後、NikeとASOSのコンサルタントとして働き忙しい生活の中、2009年に初のサロンをオープンさせる。その後、素晴らしい成長を遂げて、フルタイムでプロジェクトに専念するようになり、2016年末にはソーホーで現在のサロンを開店させた。Reidはワークショップやイベントを通して、「次世代の女性CEOとビジネスリーダーを支援する」ことを目的としたFuture Girl Corpを設立。
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  24. 「oh my god」と叫ぶ女の子の様子はこちらから。VRではないけれど、WAH Nailsの動画は下記にて視聴できる。
  25. 山下和正は、1937年生まれの建築家。1976年東京工業大学建築学部を卒業し、東京・南青山にあるフロム・ファーストビルというファッションビルで日本建築学会賞を受賞する。
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    下記のトリビアの泉でも紹介されているように、山下が交番の設計を任された時に、天井の上につけるシンボルが未定だったので、そこにまち針をつけて提出したらそれが最終盤だと勘違いされ、そのまま採用されてしまったという珍エピソードがある。
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    これは余談だが、彼は熱烈な地図コレクターで、彼のコレクションの一部を秘蔵で岐阜県立図書館に寄付している。
  26. 『顔の家』は、京都にある山下氏の代表的な建築。今では、家からOOOという、ショップ、クリエティブスタジオにリノベーションし、山下氏は最終的に建物の中に光を入れるために作った鼻の機能性を見つけるのが難しかったと説明している。
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  27. 日本では、企業イメージを作るのに、「ゆるキャラ」と呼ばれるキャラクターやマスコットを使うことが多い。実際、各地方自治体にはそれぞれマスコットキャラクターとしてゆるキャラが存在する。例えば、熊本市のくまモンや、船橋市のふなっしーなどその一部が国際的に人気を博しており、その経済効果は2012年から2014年まででおよそ10億万ドルと言われている。世界最大の広告代理店の1つである電通は、企業のキャラクター開発やリブランディングに特化した「キャラクターコンサルティング」部門を持っている。考えてみれば、これはそんなにずば抜けたアイデアではないのかもれない。キャラクター・データバンクの研究によると、2012年には日本でのマスコット経済効果は、およそ160億万ドルにも及ぶと言う。
  28. 厳密には日本からのものではないけれど、OKGrlのデザインをしていた時にはここのInstagramでも見れるように『ザ・シムズ』と言うビデオゲームからヒントを得ていた。
  29. OKGrlは、「デジタル世代のインタラクティブファッションと音楽のプラットフォーム」として、ファッションスタイリストのLouby McLoughlin(ルビー・マックローリン)によって設立された。The 405のインタビューによると、DVTKがリニューアルしたウェブサイトには「若い世代のファッションや音楽ファンたちが彼ら自身だと思えるような場所」にしたいという想いが込められているという。OKGrl では、LIZ(リズ)やHannah Diamond(ハンナ・ダイアモンド)、 GIRLI(ガーリ)、そしてUs Blah + Me Blahが以前インタビューしたKero Kero Bonito(ケロ・ケロ・ボニート)のSarah Midori Perry(セーラ・ミドリ・ペリー)などの新鋭ポップシンガーたちが特集されている。
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  30. DVTKがNintendo Wiiから影響を受けたことがわかるOKgrl2のスクリーンショットはこちら
  31. 2016年12月にiOSで、翌年3月にAndroidでリリースされた任天堂のゲーム『スーパーマリオラン』についてDavidは話している。これは、任天堂がケータイ用アプリとして初めて開発したゲームの一つである。一見昔ながらのマリオゲームと同じに見えるが、マリオをコントロールする方法が全く違う。モバイル版では、画面をタップするだけでマリオが障害を越えることができる。
  32. デイビッドが説明してるのは、任天堂のサクセスストーリーの大事なパイオニアである横井軍平(画像は下記)による「枯れた技術の水平思考」というデザイン哲学のことである。
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    「枯れた技術」とは、既にその長所も短所も完全に理解されている技術のことで、一方「水平思考」とは、既存の概念に固執するのではなく、新たなアプローチで物事に取り組む、あるいは多角的な思考の戦略をすることを意味する。言い換えれば、横井氏は、ゲームコンソロールのデザインを成功させる為に最先端技術は必要ではないと考えていた。これは、ゲーム&ウォッチとゲームボーイを成功へ導いた背景にある哲学でもある。最も新しい任天堂Wiiは、その前身であるGameCubeの内部技術を改良するのではなく、モーションベースのコントロールを使って「遊び心」を新たに定義することで競合に差をつけている。このようにして、任天堂は世代を超えてオーディエンスを広げるだけでなく、制作費を安く抑えることによって、驚くべき利益を出していった。実際、Engadgetの記事(英語のみ)によると、プレーステーション3(20GBモデル)一台の製造コストが800ドルなのに対して、Wiiはたったの160ドルである。
  33. Eames夫妻は、世界の建築とデザインに多大な影響を与えたアメリカのデザイナーである。
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    彼らはクランブルック・アカデミー・オブ・アートで建築の勉強をしている時に出会い、カルフォルニアにある彼らの自宅兼スダジオであった『Eames House』(画像下記)は、最も有名な建物で、彼らはさらにフィルムや家具、展示デザインなどもしていた。
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    リンク先のTED Talkでは彼らの孫であるEames Demetrios(イームズ・デメトリオス)がさらに彼らについて語っている(英語のみ)。
  34. Eames夫妻はアメリカの家具メーカー、Herman Miller(ハーマン・ミラー)の椅子を数多くデザインしている。
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    彼らのEamesのファイバーグラスのアームチェアや、ラウンジチェアなどの有名なコラボレーションは、現在ニューヨークのニューヨーク近代美術館のコレクションとして展示されている。形成合板に革で作られており、1956年に初めてハイエンド市場向けに設計された椅子であり、2017年4月現在でもHerman Millerで4960ドルで購入することができる。当時、彼らがNBCで発表した動画は下記にて参照できる。
  35. 1964年のニューヨーク世界博覧会は、アメリカの文化や技術を発表する上で重要な役割を果たし、重工業製品から家庭用の電化製品まで幅広いアメリカ製品を展示した。他の国のパビリオンと同じように、来場者はGeneral Electric(ゼネラル・エレクトリック)、Ford(フォード)、General Motors(ゼネラルモーターズ)などの産業パビリオンにも訪れることができた。Eames夫妻は、IBM(パビリオンの展示でデザインからグラフィック、看板、映像の担当をしていた。もっと知りたい方は、IBMパビリオンにて彼らが制作した映像を下記リンクからチェックできる。
  36. Eames夫妻は、よくIBMと仕事をしており、Ray氏はキャリア後半の方でコンサルタントとして働いていた。彼らの映像で有名なのが1961年に発表された『IBM Mathematics Peep Show』である。数学的理論をとても簡単に説明した短編映画で、下記にて参照できる。
  37. eスポーツとはマルチプレイヤービデオゲームの競技であり、一般的にはリアルタイムストラテジーやファーストパーソン・シューティングゲームで競い合います。この業界で最も成功しているのが韓国で、オンラインやテレビで放送されるだけでなく、ファンは実際にイベントに参加することができる。なので、基本的にはビデオゲームのバトルを生ライブで見ることができるのだ。韓国を筆頭に、アメリカ、ヨーロッパ、中国などでも市場をどんどん伸ばしているが、日本では厳しい賭博法が関係しているためeスポーツ開発がしにくい。何百ドルという優勝賞金を手に入れたeスポーツプレーヤーのドキュメンタリーを2015年にVICEが撮っている(下記参照)。
  38. 「ウイイレ」はコナミから発売されたサッカーゲームシリーズで、「ウイニングイレブン」の略である。2001年に初めて発売され、2016年9月には『ウイニングイレブン2017』が発売された。
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  39. Fnaticは2004年に設立されたロンドンを拠点にしたプロのeスポーツチームである。

This interview was posted on 15 August 2017 and was originally conducted in a mix of English and French.

Interview (Us Blah) & Footnotes (Me Blah):
Tsukasa Tanimoto

Copy-editing (English):
Kate Reiners and Madeleine Hahn de Bykhovetz

Translation (English to Japanese):
Sayaka Yamada

Special Thanks to Madeleine Hahn de Bykhovetz, Anh Boutin, Céline Bodin and Sidonie Boiron.