青木明子
日本のファッションデザイナーとして活躍する青木明子の作品は、技術と創造の手法の独特な釣り合いを表しており、それらは女子美術大学やセントラル・セント・マーチンズ、ここのがっこうに通いながら、青木が東京とロンドンで学んでいた数年のなかで育まれていった。青木は、坂部三樹郎のアシスタントとして短期間働いたのち、2014年に自身のブランドAKIKOAOKI(アキコアオキ)を立ち上げる。
青木のユニークな経歴や国際的な視点によって、ファッション産業からは一歩引いたところから、世界でのファッションの捉え方を大局で理解することができる。彼女は、私たちの社会においてのデザイナーの役割を再定義し、ただ「服をつくる」こと、その先を目指して活動している。インタビューでは、青木の学生時代や、現在のファッションの状態に対して抱えている悲しみについて、また彼女のフラストレーションがいかに2017年秋冬コレクションにインスピレーションを与えたのか、独占的に語ってくれた。
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まずはご自身の活動について教えてください。
東京ベースでAKIKOAOKIというファッションブランドをやっています。今は1年間にS/SとA/Wの2シーズン、コレクションを発表しています。1
生い立ちについて
最初に入学された女子美術大学(女子美)2は、美大であって、デザインを専門とする大学ではありません。以前、あえて美大を選んだとおっしゃっていましたが、3それはなぜですか?
元々、哲学などに興味があり、ファッションデザインをするうえでも、テクニカルな部分以上に、文脈や価値観、歴史など様々な視点からファッションデザインと向かい合いたいと思いました。他にもプロダクトやグラフィックなどのデザイン学科、洋画や彫刻科など、ファッション以外にも表現に対して向き合っている環境がいいなと思い、美大にいったんです。入学して感じたことは、日本の美大は、芸術を感性や自己表現として捉えている印象がありました。
女子美は、どちらかといえば島国的な環境に受け取られますが、学位を修められた後、どのようにしてロンドン留学に興味を持たれたのですか?
元々、留学したい思いはありました。その思いを、女子美で教鞭をとっていらした、当時、コルクルーム4というファッションスクールを学外で運営されていた安達市三先生にお話ししました。ちょうど、当時のIssey Miyake(イッセイミヤケ)代表取締役社長をされていた太田伸之氏5の講演があるということで、セントマーチンズやアントワープ6から帰国したばかりの、これからブランドを始める若い人たちも来るから、とお誘いをいただいたのがきっかけです。
それが、MIKIOSAKABEの坂部さん、7当時のwrittenafterwards(リトゥンアフターワーズ)の山縣さん8と玉井さん、9TARO HORIUCHIの堀内さん10たちでした。それからすぐ、21_21 Design Sightでの発表がありました。11日本では「物」を作ることに重視する事が多いと感じるのですが、彼らの作品は私が見てきたものとは全く異なるものでした。人間像、環境、習慣性など、ひとを軸にあらゆるものを巻き込んだデザインとしてファッションがあり、そして、その装いが純粋にかっこよかったのです。
その時、初めて「ファッションとは、本気で人間を軸に考えると、それ故にこんなにあやふやな、危うさを孕むものになるんだ」と気づきました。纏う側にも、深さが求められているような感覚です。「きっとロンドンやアントワープでは、日本のファッションの教育とはまた違った何かがあるんだ」といっそう、留学に興味を持ちました。
セントラル・セント・マーチンズのグラデュエートディプロマ12を履修されました。ロンドンはいかがでしたか?
カルチャーショックでしたね。想像していたロンドンと違いました。13私は海外もほとんど行ったことなかったので、イギリスと言えば伝統的な紳士の国、パンク、ビートルズくらいのイメージだったんですけど、イーストのハックニーやダルストンの方は結構治安が悪くて最初はびっくりしました。
友達が住んでいたので東側はよく行っていたのですが、その環境がすごい面白くて。自分がそれまで「良い」と思ってたものが「悪い」ものになった物もありまして、「悪い」と思っていたものが「良いかもしれない」となりました。それまで培ってきたはずの価値観をかき回されたのです。全てが1度、グチャグチャになって、そういったストレスも含めて新鮮でとても楽しく感じました。移民街の床屋や、生臭い市場、ストリートマーケットでは左右種類の違う靴を平気で売ってたりとか(笑)。14そういう独特な間合いと良さがありました。凄く短かったけれど、私にとっては価値観が変わった大切な時間でした。
ロンドンでの滞在を終えて日本に戻られた後、ここのがっこう15で学ぼうと思われたのは、どこかセントラル・セント・マーチンズのカルチャーと似ているところがあったからですか?
「今の日本の若い子達が考えている事を体験しにいきたい」と思ったのが入った一番の理由ですね。当たり前ですけど、ロンドンにいる間、日本でも時間は進んでるじゃないですか?それによって、結構みんなが話してる事がわからなかったんですよ。例えば、ちょうど私がロンドンにいた時にAKB48が流行っていて、帰ってきたら、みんなが「AKB!AKB!」と言ってて、私は「何それ?」と(笑)。
ファッションに関しても、ちょうどその間にcoconogaccoから出した日本人の子が初めてInternational Talent Support16というイタリアのファッションコンペでグランプリを取ったんですね。日本に戻った時に、今はみんなどういう気分で物作りに向かい合っているか、単純に知りたかったんです。新しい世代の価値観とか温度感みたいなのがリアルにそこにあって、面白かったですね。coconogaccoの面白いところは、本質的なファッション教育と同時に、生徒の年齢や肩書きの多様性があると思います。建築を勉強しているひと、学生、プログラマー、様々な観点でものを見合い意見交換できるのが興味深いです。
AKIKOAOKIの背景にあるアイデアについて
ここのがっこうを卒業されてからご自身のブランドであるAKIKOAOKIを立ち上げるまでに、アシスタントとして数年間働かれていました。先のインタビューにおいて、ファッションデザイナーとは「今ある物事を噛み砕いて出すよりも、何歩か先の時代感や人間像を見てデザインしている人」だ、とおっしゃっていました。17ご自身のコレクションには、未来に関するなにかメッセージがありますか?
正直なところ、ファーストとセカンドの時はそんなにメッセージはないんですよ。その時は、ブランドとしてのアイデンティティを出力することにフォーカスをしてました。それを見た人にメッセージを伝えたかったみたいなのはなくて。どちらかというと、17A/Wの方がメッセージ性が強いかもしれません!
AKIKOAOKIの最新コレクションについて話される時、「怒り」というキーワードがよく出てきます。その「怒り」はどこへ向けられているのか、またどのようにして生まれてきたのか教えていただけますか?
ファッションがイメージとして消費の象徴になってしまっている部分があると感じています。同時に、慢性的な刺激物として受け止められてしまっている気配を感じ、それは本来、ファッションの素晴らしさとは違うのではないかと感じる事があります。ファッションとはあらゆる可能性を許容する、最も人間らしい行為であり、人の人生に寄り添える文化として認められたいという思いがあります。
ファッションがイメージとして消費の象徴になってしまっている部分があると感じています。(中略)ファッションとはあらゆる可能性を許容する、最も人間らしい行為であり、人の人生に寄り添える文化として認められたいという思いがあります。
ファッションデザイナーとして、ご自身が感じていた怒りに対してどのようにアプローチされたのですか?
この「怒り」に対して、興味に持ったのが身体性。人間の身体が感じる物、実際に肌で感じる物は、すごく「原始的」だし、情報とか何にも影響されない。身体的な感覚だとすごく信じられるじゃないですか?例えば、匂いってすごく記憶に繋がっているじゃないですか?この身体性を意識したデザインがさっき話したファッションが「ただの刺激物」でしかなくなっている事に対する、自分なりのアンチテージに近いアイデアです。
気持ちは強くても私がデザインした服を見た人、着てくれた人に私の意見に同意して欲しいとかではなくて、単純にファッションはやっぱり時代と人を相合したクリエーションだと信じていますので、こういう事はデザインを通してやるべきなんじゃないかなと思っています。
服を作ること以外に、どのようにしてその気持ちを表現されるのですか?
これだけ物が溢れている時代の中で、本来、物が持つ強さを信じながらも、物質のみにお金を払うという行為自体に閉塞感は感じています。なので、そこに新しい価値が付随したらとは思います。これはとても私的な感覚なのですが、「現象」にはお金を払ってでも体験したい気分が個人的には最近あります。なので、デザイナーは物を作る事だけではなく、物との出会い方も含めたデザインを提供できるかもしれないとは思っています。
その理由もあって、「今の時代、ショーなんて」とよく聞きますが、私はショーには価値があると思っています。先程伝えた通り、やっぱり体感は凄く強いと思うんですよね。物凄くお金がかかるし、毎回やるのはいろんな意味で厳しいんですけど、その場にしかない瞬間性、空気、音楽、来てくれてる人のその日の気分、そうした偶然性も全部込みでそこでしか体感できない事が素敵だと思います。そのレベルでクリエイションをぶつけられると、感動します。
その「体感」が、将来のご自身のショーになにかアイデアを与えていますか?
例えば、ショーや展示会、そのシーズンのルックをビジュアルとして見ることが、そのコレクションと出会うファーストだとしたら、そのファーストの出会い方に対して、時間性をねじ曲げた提案をしてみたいとは思っています。もう何十回も聴いてる馴染みの曲なのに、ある日、はじめて出会ったかのようにフレッシュにその曲を体験し直す、というかんじに近いでしょうか。
インスパイアされた他のブランドはありますか?
個人的な好みとは別に、Vetements(ヴェトモン)18は印象深いです。我々がいた次元とは違う次元からファッションを捉え、現在あるヒエラルキーを壊しにいってる。そして、これだけ他のブランドに影響を与えているのも凄いです。文字通り、移り変わるもの、時代を読み解いてトレンドを生み出している。ファッションそのものだと思います。
教育とデザインについて
青木さんは15年間女子校という特異な教育環境で過ごされています。19それがデザイン工程に影響を与えていると思われますか?
あると思います。人を形成していくうえで、環境はとても影響があると思うからです。規制が多い環境だったので、やっぱりなんだかんだ規制ありきの中で、どういくかみたいな所に面白さを感じています。例えば、当時、ルールとかってすごく重苦しく鬱陶しい存在で。大嫌いですよね、もう反抗することが生きがいくらい(笑)。でも、さあ「自由だよ」って言われると、なんか「あれ?」っていう現象はよくありました。「全部自由ですよ」と言われると、逆につまらないなと思ってしまう。ルールを嫌いながらも、それに活かされて、新しいものが見つかる。
この影響もあって、コレクションをつくる際は最初に決めたイメージにあまり縛られないようにしています。ブレないこと、と、ブレさせる勇気と自由さを持っていたいです。先入観ではなく、気持ち的には、それもありかもしれない、というマインドです。
ロンドンでもルールの中の面白さは実感しました。日本と違って、必要な物が見つけにくいから、自分でどうにか作るしかない。毛糸一つ買うのでも、東京とは比べ物にならないくらいチョイスが無いわけです。じゃあもう毛糸からつくろう。そもそものルールのスペックが低いから、0から1をつくっていく。それが当たり前でした。日本をベースにブランドをやっていく事を考えると、そういう便利でなんでもある日本だからこそ、そうした豊かさに対してどういったアプローチで物を作っていくか大切だと思います。
未来について
未来をどのような視点で見ていらっしゃいますか?
ビジネスのシステム自体を、デザイナーも考えていかなければならないと強く感じています。やり方はそれぞれに、特に若手は、自分のシステム作りみたいなものを考えてった方がいいんだろうなと。また、世界レベルで競えるデザインにしていきたいです。
3.11の経験は大きかったと思います。当時、私は日本にいたのですが、これだけ「ファッション、ファッション」言っているにもかかわらず、突然の生死を突きつけられた瞬間、どんな綺麗事を並べても「服」はただの「服」でしかない現実を目の当たりにしました。(中略)そこを無視してデザインを続けていくことはできないという確信にもなりました。
今後の長期的な野望は何ですか?
いつか、オーダーをやりたいと思っています。現在の日本にはあまり無いかもしれませんが、とても個人的なやりとりをしてつくることも将来的にはやってみたいです。それは個人的な背景からきているのと同時に、3.11の経験は大きかったと思います。当時、私は日本にいたのですが、これだけ「ファッション、ファッション」言っているにもかかわらず、突然の生死を突きつけられた瞬間、どんな綺麗事を並べても「服」はただの「服」でしかない現実を目の当たりにしました。それは、とてもショックだったと同時に、知ってしまった以上、そこを無視してデザインを続けていくことはできないという確信にもなりました。
その1つの方法が、私にとってはクチュール的な精神での向かい方なんだと思います。手が込んでいるものがすきなのは、その手の込んだ物質にプラスアルファで、そこに至るまでの過程の精神や思想も込みで、そのものが生み出すファッション性に通じていると思っているからです。同時に真逆のアプローチ、例えばとてもラフにつくったものでも、そうした姿勢や思想を含んだファッション提案もあると思っています。そうしたクリエイション、本質的意味でのファッションのリアリティーがビジネスにつながる方法を模索していきたいです。
- これまでのコレクションは、AKIKOAOKIのウェブサイトまで。 ↩
- 女子美術大学は、神奈川と東京にキャンパスを持つ、私立女子大学。1900年に設立され、1946年まで女子の入学を認めていなかった東京美術学校に退治して創設された。代表的な卒業生に、有名なキャラクターリラックマを創作したコンドウアキなどがいる。2014年にリリースされた大学紹介ビデオをはこちら。 ↩
- FASHION STUDIESのインタビューはこちら。 ↩
- コルクルームとは、安達市三と三宅一生が創設し、高田賢三やコシノジュンコがメンバーである青年服飾協会が前身の、インディペンデント・ファッション・スクール。コルクルームは、ファッションブランドの研究や戦略に関心のある人々のネットワークとして、1977年に原宿に設立された。青木明子の学生時代には、ファッションのエキスパートからのレクチャーを通じてなど、世代を超えた交流のプラットフォームとして存在していた。 ↩
- 太田伸之は2010年6月にIssey Miyake社長を退任。現在は日本文化を発信する日本ブランドを支援する官民ファンドクールジャパン機構を運営している。 ↩
- 「セントマーチンズ」とは、アントワープ王立芸術学院のことで、ファッションでは世界的に有名な教育機関。セントラル・セント・マーチンズからはJohn Galliano(ジョン・ガリアーノ)、アントワープ王立芸術学院からはMartin Margiela(マルタン・マルジェラ)といった、この2校からは有名な卒業生を数多く輩出している。 ↩
- 坂部三樹郎はアントワープ王立学院を卒業したファッションデザイナーで、同名のファッションレーベルを率いている。坂部は、日本のファッションの若い世代に多大な支援をしており、ここのがっこうの共同ディレクター(ここのがっこうについては、脚注15を参照)としてのみならず、5人の若手デザイナー(SoshiOtsuki、AKIKOAOKI、 KEISUKEYOSHIDA、RYOTA MURAKAMI、kotohayokozawa)のグループ東京ニューエイジのトップとして、山縣良和とともに活動している。MIKIO SAKABEの2017年春夏ランウェイコレクションはこちら。 ↩
- 山縣良和は2005年にセントラル・セント・マーチンズを卒業したファッションデザイナー。John Gallianoでインターンを経験した後、ファッションレーベルwrittenafterwardsを共同設立。坂部とともに、ここのがっこう(詳細は脚注15を参照)や東京ニューエイジを創設。風変わりなwrittenafterwardsの2016年秋冬ランウェイはこちら。 ↩
- 玉井健太郎は日本のデザイナーで、山縣良和と同様にセントラル・セント・マーチンズで学ぶ。Margaret Howell(マーガレット・ハウエル)でアシスタントとして働いた後、山縣とともにwrittenafterwardsを共同設立。その2年後に自身のブランド、ASEEDONCLOUD(アシードオンクラウド)に専念するため、writtenafterwardsを去る。 ↩
- 堀内太郎は日本のファッションデザイナーで、2007年にアントワープ王立芸術学院を卒業し、その後、パリのNina Ricci(ニナ・リッチ)で働き、また友人でアクセサリーデザイナーのHeaven Tanudiredjaとコラボレーションをした。2008年、自身のレーベルTARO HORIUCHIを立ち上げる。 ↩
- 青木が言及しているのは、2007年の東京ファッションウィーク中に、東京の六本木にある美術館21_21 DESIGN SIGHTで開催された『ヨーロッパで出会った新人たち』展のこと。展覧会では、山縣良和やwrittenafterwardsの玉井健太郎、坂部三樹郎、堀内太郎を含む、ヨーロッパで学んだ様々なデザイナーたちの作品が展示された。 ↩
- 通常イギリスのGraduate Diploma(グラデュエートディプロマ)とは、学士号を取得後、修士号に出願するための修業証書。実際には修士号へ出願するため、出願条件に達していない留学生や、学士号の専攻とは異なる科目を学びに進学する学生が履修している。 ↩
- 本や映画、テレビの影響により、欧米のカルチャーに過度な憧れを抱く日本人は多い。それらの人々にとってロンドンは夢のような目的地である一方で、いつでもパリは日本人が想像する特別な場所である。毎年多くの日本人観光着がパリを訪れ、汚く荒れたパリの現実に幻滅し、あまりのショックで身体的外傷を被るパリ症候群に陥っている。日本大使館では、パリ症候群で苦しむ人のために、24時間の悩み相談電話を開設している。 ↩
- ここで青木が言及しているのは、ロンドンのハックニー区にある、リドリーロードマーケットのこと。安くておいしい食品が売られている市場ではあるが、いくつかの屋台は不衛生であったり、珍しい美味としてネズミの肉を売ったりしており、警告を受けている。詳細はBBCの記事まで。 ↩
- 「個々の学校」という意味を持つここのがっこうは、これまでの伝統にとらわれない実験的なアプローチで有名な日本のファッションスクール。セントラル・セント・マーチンズの卒業生である山縣良和(詳細は脚注8を参照)が、ロンドンで経験した創造的教育を日本の学生たちにも提供したいと、研究中心の典型的な日本の教育機関に代わる学校として、2008年に設立した。山縣はi-Dの記事において、こう発言している。「ロンドンと日本でのファッションの教わり方は全く異なっているため、私はその2つの理想的な部分を溶け込ませる空間をつくりたかったんです。それはヨーロッパと日本の教え方の結合です」 ↩
- ITSと呼ばれるInternational Talent Support(インターナショナル・タレント・サポート)とは、ファッションの分野で活躍する若い才能を支援している。2002年より、同組織はファッションデザインのコンペを毎年行っていたが、2017年には開催されない。 ↩
- SOW.TOKYOでのインタビューからの引用。 ↩
- Vetementsはジョージア出身のファッションデザイナー、Demna Gvasalia(デムナ・ヴァザリア)によるブランド。彼もアントワープ王立芸術学院出身で、Gvasaliaは以前、Maison MargielaやLouis Vuitton(ルイ・ヴィトン)で働いており、2014年に初めてのコレクションを発表した。2015年より、Balenciaga(ヴァレンシアガ)のクリエイティブディレクターに就任している。Gvasaliaは、ファッション産業の保守派に対する挑戦や批判に定評がある。彼は032cでのインタビューでこう言っている「(そこには)私が全く賛成できない古い考え方がある『さあ、壮大なショーをつくって、みんなに夢を見させよう。そして願わくば、人々がベーシックなブラウスを買いに、お店に足を運んでくれますように』Vetementsでは、まさにそれに対抗しているんだ」Vetementsのブランドの根底にある深い考え方を伝えている、おすすめの記事はこちら。Vetementsの並外れた2017年秋冬のランウェイショーは下記。 ↩
- 日本は近代的では革新的な国として大部分は認識されている一方で、実際の男女平等に関しては後ろ向きである。2016年度の世界経済フォーラムの男女格差指数によると、日本のランキングは世界111位で、スワジランドや中国、ロシア、ジンバブエよりも下位にある。日本人女性の多くは小学校から高校まで女子校に入学し、また日本には約100校の女子大学が存在する。 ↩
This interview was posted on 9 November 2017 and was originally conducted in Japanese.
Interview (Us Blah) & Footnotes (Me Blah):
Tsukasa Tanimoto
Copy-editing (English):
Kate Reiners
Translation (English to Japanese):
Shiori Satoh
Photography:
Marina Kobayashi
Special thanks to Sidonie Boiron, fashion designer and former intern for Akiko Aoki.