Us Blah + Me Blah Blah Blah Blah Blah Blah…

鈴木哲生

Tezzo Suzuki
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オランダの美術大学ロイヤルアカデミー・オブ・アート(KABK)にてType & Mediaコース修士課程を修了後、国内でも目覚ましい活躍を見せて来た若き才能の持ち主。タイポグラフィーからレタリング、ロゴデザイン、イラストレーション、ウェブサイトデザイン、エディトリアルなど幅広い分野で才能を発揮し、こうした活動が人生の多方面に影響していくことが最大の報酬だと語る鈴木は、同世代デザイナーのなかでも一際強い存在感を放つ。

柔軟な姿勢で制作に取り掛かり、プロジェクトの種類に関わらず率先して未知の領域に挑戦することで、自らの視野を広げてきた鈴木。今回のインタビューでは、研究の最中で東京からデン・ハーグへ移り住んだ経緯から、自らのタイポグラフィーや、デザインへの包括的なアプローチに対する考えについて話していただいた。

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どのような活動をされているのでしょうか。

グラフィックデザインを基本的にはやっています。今までやったものではロゴ、ビジュアル・アイデンティティや印刷物が一番多いような気がします。最近は本1のデザインや建築のサイン計画2(ホテルの部屋番号とか看板とか)をやったり。あとウェブもやるけど、コーディングはできないから、そういうのは人に頼みます。3グラフィックデザイン全般的、なるべくなんでもやりたいです。

経歴について…。高校を卒業して一年浪人して、東京芸大4のデザイン科に入りました。卒業後は一年間天ぷら屋さんやカレー屋でバイトしつつクライアントワークをして、隈研吾建築都市設計事務所(KKAA)5でパートタイムのグラフィックデザイナーをしました。その後オランダのデン・ハーグにあるロイヤルアカデミー・オブ・アート(以下、KABK)6のタイプメディア修士課程に進学して、2015年に修了してからはフリーランスです。

学校教育ーデザインからタイポグラフィーまで

作品からマルチなデザイナーであることが伝わってきます。ファインアートの世界でも通用する技術もお持ちかと思いますが、なぜデザインを選んだのでしょうか。

美大に行く人はみんな「絵が得意な子」みたいな感じで、僕も絵が好きな子だった。美大に行くことは、誰かが決めたわけじゃないけれど生まれた時から決定してたような感じで、何の疑問もなかった。デザイン学科を選んだのも、何も考えていなかったらそうなったということのような気がする。両親がデザイナーだったからかもしれない。でも、今思い返して思いつく理由としては、油画は準備が面倒だし汚れるのが大変だっていうのもあるけど、アーティストよりデザイナーの方が打たれ強くなれるし、引きこもり7にならないと思ってたからかも。

今思うと、アーティストも全然ナイーブではいられないと思うけどね…。ただ、自分は昔から一人で何かをシーンとやるタイプだったので、人と関わらざるをえない仕事じゃないとまずいような気がしたのかもしれない。多分両親も同じことを思っていて、僕が中学で部活に入った時に父が「部活の内容が何であれ、人と一緒に何かをやるということが哲には必要なので、それはいいことだ」と言っていたのを覚えてる。

これは他のところで言ったことがあるかもしれないけど、8僕が子供の頃(90年代前半)、宮崎勤事件9やオウム真理教のテロ事件10のルポなんかを見る機会があって、子供ながらに何となく、彼らに共感をしていた気がする。閉じこもったところで自分だけがわかるストーリーを組み立てて、アイデアが煮詰まって、ある日突然怖いことをしてしまう人たちに。そういうふうにならないように、自分のアイデアが全く通用しなかったり、無意味だったり、きょとんとされたり、醒めた目で見下されるような環境、ひんやりした状況にいなければと思ったんだと思う。それにはファインアートではなくデザインがいいのだと。

幅広い手段でグラフィックデザインに取り組んでいますが、それには東京藝術大学デザイン学科での経験が影響しているのでしょうか。

自分がやるのはデザインの中でもグラフィックだろうなとは思っていたけど、グラフィックデザイン科がある多摩美とかと違って、芸大11には「デザイン科」しかなくて、4年間でいろんなジャンルの課題をやる。それで今やっているような事ができるようになった訳じゃ全然ないんだけど、大学の頃から、専門性で勝負しようみたいな感じが売りではなかったと思う。後、まあ絵も字もできるとはいっても(照)、逆にエディトリアルでビシッと組版して、紙めっちゃ色んな種類ある中から選んで特殊印刷したり加工したりとかは全然わからないからやらない。できる事をやっている感じです。

卒業後にいくつかの職を経てオランダで修士過程に進んでいますが、KABKを選んだきっかけは?

留学した理由はいろいろあるけど、一つはさっき言ったみたいに芸大の中にいると、色んな事をやるんだけど、全然専門性が深まらない。12個人で勉強している人もいるかもしれないけど、多分大学院に行っても芸大はスペシャリスト教育じゃない。自由でいいんだけど、そのせいで卒業しても、結構多くの学生が結局「生まれ持った才能とノリしかない」みたいな感じになってる。

本当はWerkplaats Typografie(ワークプラース・タイポグラフィー)13も受けたけど、KABKのType & Mediaを受けたのは、タイプデザインにコンプレックスがあったから。Werkplaatsは本当にリサーチ系で、先生が明確になにかを与える教育じゃないらしいから、もしそこいくとまた芸大みたいな感じになっちゃいそうだなとKABKに受かってから思って、そういう意味で、Type & Mediaはぴったりだった。Werkplaatsには落ちましたが…

それからオランダっていう国に興味があったのも大きい理由です。OMA14やMVRDV15みたいな設計事務所や、ドローグデザイン16の考え方なんか、嫌だと思っていた自分のナイーブさからかけ離れた感じがして、そういう考え方のもとでヴィジュアルデザインをやるとどうなるのか興味があった。

オランダへ渡って以降、どのような変化を感じましたか。

ぼくは外見はオタクっぽいかもしれないが、実際は何に関しても特に詳しくなく、経験豊かでもなく、まったく系統的な知識を持っていなかったです。建築士の友人が何人かいるが、彼らは資格職で知識量が保障されているし、そうでない人にはできない見方で人工物を見ることができる。それはまさに専門家ということで、そういう人に接すると本当に恥じ入ってしまってました。タイプデザイナーは木材や鉄筋ではなくデータを扱う分、僕にとってはさらに専門性が高い存在でした。

凄くよかったけど、明らかに準備不足でものすごく大変だった。ずっと文字の事を凄くやりたかったけど、それを考えるのにフォントがどう作られているかがわからないままだと一番大事なことが欠けたまま知ったかぶりし続けなきゃいけないと思った。「文字に興味がある」と僕が言っても、いつも彼らタイプデザイナーに「何もわかってないくせにそんなこと言っちゃって」と笑われている気がしていました。今も。でもいつかはそこを大まかにでもガツっと掴まないと、文字のことについて考えられないと思ってた。Type & Mediaの一年はまさにそこにチャレンジした一年だった。1年では凄い基礎的な事しか学べれなかったけど、その大事な部分がカパっと入って、タイプデザイナー達が何を喋っているか分かるようになった。

フォント制作についてKABKで学んだことについて、聞かせてください。

自分がタイプをやるまで、本当にデジタルフォントみたいな複雑な物が人間に出来るものとは思えなかった。打って、字が出てきて、それを印刷もできて、一個一個が人間の手でデザインされているなんて想像もできなかった。でも、中にちょっと入ってみたら、本当に人間がやっているんだとわかったし、フォントをデザインするのには、考えたこともなかったような知恵が必要なんだっていうことがわかった。文字のテクスチャということとか、文字が集まって働くってこととか。それにフォント生産のための具体的なエンジニアリングについて知って、文字についての自分の考え方が今まで本当に素朴だった事に気づいた。

自分がタイプをやるまで、本当にデジタルフォントみたいな複雑な物が人間に出来るものとは思えなかった。打って、字が出てきて、それを印刷もできて、一個一個が人間の手でデザインされているなんて想像もできなかった。

それ以前はどのように考えていましたか。

それまでは世の中に出回っているフォントって、全部ある共通の審査基準を超えたものなんだと思ってたけど、フォントを勉強してから、「あっ、ここうまくいってない」、「ここ普通じゃない」っていう事が少しわかるようになっていって、裏にはそう判断した人間がいる事に気づく。単にここがこうなってれば流通してオッケーというものじゃなくて、高品質な製品にするにもいろんなやり方があってみんなそれぞれに工夫して作っているんだとわかる。そういうことがわかるってものすごい大事だと思う。

なんでそれが大事かというと、少しでも世間知らずじゃなくなるから。世の中の全部じゃないけどほとんどのものを、人が作っていて、自分もそのうちの一人だって思うこと。ほっといてもうまく成り立つって思わないで、人が工夫していないと世界のクオリティが維持できないんだって思うことが、社会人の基本だと思うから。

タイプフェイスを作っている時、フォントデザイナーとユーザーの関係について考えることはありますか。

それを意識してても、全く未経験でデザインを始めて工夫の仕方もわからないんだから大して成果はないよね(笑)。僕は大学院でタイプを作っている時、「フォントを売って、みんなに使ってもらいたい!」みたいな事はあんまり考えてなかった。すごい考えてるとしたら、自分がきれいと思うように作ったり、自分が気に入らない事はなるべくしない。すごくパーソナルな事しか考えてないかも。むしろ、自分が作ってる時は大変すぎてあんまり考えないかも(笑)。だからくそまじめにやったつもりだったけど、変なフォントができた。

タイプデザインの外へ

「すごくパーソナル」なタイプデザインとは、どのようなものでしょうか。

僕が考えている事って別にデザインに関係なく、文字についてなら例えばRoland Barthes(ロラン・バルト)17が『表象の帝国』に書いてたような事とか、漢字のこととか、書のこととか、文字集合のこととか。あと何がモダンで何がモダンじゃないかとか、自分が同じ世代の人と違うところと典型的なところとか、毎日の生活のこととか。

でもクライアントワークの場合は、クライアントには別の野心や利害があって、それは自分が今まで持ったことのない野心や利害だからもっと興味深い。当然だけどそこに突然自分の興味を上乗せするみたいに盛り込むことはないと思う。クライアントワークではもっと別の、その場その場の特殊な出来事を考える必要があるかなと思う。

つまり、クライアントワークと個人プロジェクトは完全に分けているということですか。

でも興味ないことはし続けられないから、完全に分けてるってことじゃない。個人的な興味だって、なにかしら世界に対する興味や使命感には変わりないから、たとえば全然違う二つのことも、詩みたいな比喩で表現すると同じ構造の物だとも言えるとか、結局真剣に考えていると一つのことになるみたいなことだと思う。

デザインはコンセプチュアルであるべきっていう事を今まで教わってたから、例えばある中国のクライエントと、外食ブランドのアイデンティティの仕事をした時「この形はこの意味があって、それはこのブランドがこういうコンセプトだから」みたいなアプローチで進めてたけれど、その人にはそういう話が全然通じなかった。コンセプトって「私たちはどんな場合でも基本的にこの考え方でいつでも判断します」ってことだと思うけど、彼は「今はこれがきてるからこうしたい」「やっぱりこういう感じがいいらしいからこう変えたい」という感じで、業種自体が変わっていった。要するに、いつまでもマーケティングをし続けていて、彼ら自身が結局どういう意図や理念やバックグラウンドや限界を持っているかということに言及がないので、ブランディングの核になる部分が全くわからなかった。わからないというか、そんなものはなくて、ないことを気にもしてない感じ。そんなことよりもコミュニケーションや状況に応じた判断を繰り返していくことを重要に思っているようだった。つまり事業主にアイデンティティみたいなものがほぼないから、コンセプチュアルなアイデアを構築するそもそもの土台がないっていうこと。

こういう事になると、ブランドのそもそもの目的である、店舗や経営に空間的・時間的な粘り気や一体的な意志を与えるってことがわりとどうでもよくて、一個のビシっとしたロゴの賞味期限が数ヶ月ぐらいみたいな世界って事じゃん。それにはヨーロッパ的なデザインの考え方は全く必要ない。一つの印象を持っている一つのコーポレートフォントを設計して決めることなんてもっと求められてない。じゃあヨーロッパ流でない、2010年代の中国なりの、アイデンティティを表現する方法ってなんだろう?って考えていくと、文字の問題も中国の問題もモダンさの問題も繋がってくるから、シームレスにモヤモヤっと両方が繋がってる感じかな。

不安定とも言える環境でデザイナーがそれほどまでに前向きな姿勢を貫くのは驚くべきことです。こういう状況は楽しめるほうですか。

そうだと思う。単にそういう、この時代に特殊なこと…愕然とするような事実にコミットして、今を生きてる醍醐味を感じたい…。無責任にならない範囲で…。例えばグラフィックデザインやブランディングはそもそもヨーロッパや北米のローカルなアイデアが、日本や中国でも効果があると思われて輸入されたけど、それがかなり高度に進行してから実はピッタリきてなかったと発覚するような事実。「中国って変な国だな。適当だしむかつく。仕事しづらい」みたいな感じじゃなくて、「世界にはこういう価値判断の領域があるんだ。それに日本人の私が出会った。」みたいに考えると、そんな複雑なことを色々考えられる時代でラッキーと思えるし、ボケ防止にもなる。ただその状況自体にはへこたれないんだけど、自分がほぼいつもその状況に効果的に回答できないことにはへこたれる…。

どうしたらそのような状況を楽しめるのでしょうか。

そういう状況が楽しいと思うのは、Rem Koolhaas(レム・コールハース)18の本をいっぱい読んだからな気がする。Remは現代の建築家について、彼らは根本的には大聖堂とか大美術館を作ってた時代とあんまり変わらない考え方で設計をやっていて、昔のノリのままだと言っている。そんな考え方の人が、世界の都市空間の現状を何のバイアスもなく本当に素直に観察したらもっと悲観的になるはずなのにね。建築家だけじゃなくてデザイナーも、グロテスクだったりうんざりさせられるような現実を、自分の担当じゃないってどこか思い込んで見ないようにしてる感じがする。あるいはただのおもしろ物件って捉えてるだけとか。でもそこが本当は醍醐味なはず。

Remはブランディングについても言っていて、大まかに言うと、ロゴ一個を作ると、イメージが固まって、そこから自由になれなくなるから、色んな矛盾や変化を孕んだブランディング方法が必要だということみたい。今までのブランディング方法はアングロサクソン的で、もうこれからは向かないと言っている。19文字については言及していないけど、僕は文字にも適用すると思っている。

ユニークなオンラインポートフォリオ

ウェブサイトで作品を紹介するときに、レファレンスとインスピレーションも一緒に公開していますね。20あまり見ない光景だと思うのですが、そうすることで作品の透明性を高めているのでしょうか。

透明性を推すっていうのは思ってない。僕はどちらかといえばブレストやディスカッションの衆人環視の場から新しいアイデアが出てくるということに懐疑的。それは一番最初に書いたような、密室カルト的状況を避けたいってことと矛盾してるんだけど、やっぱりアイデアが一番最初に出てくる時だけは未だに神秘的であるべき気がしてる。なにかを思いつく時、そのひらめきは必ずインプットに立脚してるはずだけど、そのインプットがどういうプロセスを経てアウトプットに繋がってるかは、僕が一人で部屋の中でやってることで誰も見れないからわからないし、実際僕にもわからない、藪の中の出来事という感じ。

サイトにレファレンスを載せているのは、はじめは、(最初のセクションでも言及したように)自分のアイデアが通用しない「外」と常に関わって、そこから着想を得ているということを言いたかったからだけど、インプットだけを見せてプロセスを見せないことで、逆に藪の中であるということの説明になっているのかもしれないですね。

レファレンスのチョイス自体、自分の育ちや生活感やキャラそのものだし…。「マシーンには代替できない、まさに人間の専門職でしょ」っていう証明になる。

もしかすると、プロジェクトの過程を明かさずに始まりと終わりだけを公開するのは一種の快感とも呼べるのでしょうか。

そうね(笑)!「はじめこうで仕上がりはこうだけど、自分でもそのプロセスがわからないんだから、あなたたちに真似できるわけないでしょ」っていうのはちょっと快感なのかも。スキル的に凄いんじゃなく、一人の人間としての脳の活動を、人の脳にトレースできないこと、というか。レファレンスのチョイス自体、自分の育ちや生活感やキャラそのものだし…。「マシーンには代替できない、まさに人間の専門職でしょ」っていう証明になる。でもわからない…こういうことも人工知能にできるようになるのかな…。

今後の活動について

先ほども述べた通り、デザインにおいて多方面で活躍されていますが、その技術をデザイン以外のものに活かす予定は?

それはずっとある。特に大学生の頃から、「ずっと自分は平面上でばっかやってるなー」って思ってたから、なんか実際のマテリアルをそなえた物を作ってる方が現実に触れてる感じがして、まともな人になれるっていう意識がずっとあった。だから彫刻をやってみたりとか、建築の人を信用しがちなのはそのせいかもしれないし、今後も立体物でも、ファブリックでも、なんでも色々やりたいなと思っている。全部自分でやるのは無理だけど、ウェブも。もっと抽象的な事とか、テキストを書く事にも興味がある。教育にも。

最後になりましたが、今後目標とするものや、将来達成したいことはありますか。

数年前から見ているけど、ファッションのコレクションをみるのが凄く面白い!いいなと思うのが、今みたいに一人でいろんな仕事をやっていると、意識が凄くパラパラするけど、既存のブランドにクリエイティブ・ディレクターとして入るとしたら、そのブランドと自分っていう関係に凄い集中して、そこにグッと入れるから、人生の中でそういう時期があるのは凄く良さそうだなと思う。かつてのRaf Simons(ラフ・シモンズ)とDior(ディオール)の関係や、21Jonathan Anderson(ジョナサン・アンダーソン)とLoewe(ロエベ)の関係22みたいなことに、自分もいいチャンスがあればトライしたい。でもグラフィックデザイナーでそれってどんなことかはわからないけど…

  1. 近年では、意志強ナツ子による単行本『魔術師A』(2017年1月出版)のブックカバーをデザインしている。
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  2. 特定非営利活動法人モクチン企画運営が横浜市青葉区に建設した物件においても、デザインに携わっている。物件の写真はこちら
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  3. 鈴木のコラボレーション相手としては、伊東海hydekick(吉松英輝)が有名。鈴木はこれまでにkoo architectsのウェブサイトなど、多数の作品を手がけてきた。
  4. 国内唯一の国立総合美術大学。著名な卒業生に、坂本龍一、岡本太郎、村上隆がいる。
  5. 国内外に名を馳せる建築家・隈研吾主宰(下画像)の設計事務所。代表作品に、竹屋 Great (Bamboo) Wall(北京)、根津美術館(東京)、ガーデンテラス長崎ホテル(長崎)など。現在進行中のプロジェクトには、2020年夏季オリンピックのメイン会場である新国立競技場(東京)も含まれる。
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  6. ロイヤル・アカデミー・オブ・アート(蘭語:Koninklijke Academie van Beeldende Kunsten)は、美術とデザインを専門とするオランダの美術大学および大学院。Type & Media(タイプ&メディア)コースが有名。
  7. 国内のひきこもり人口は約70万人にのぼり、その平均年齢は31歳であると報告されている(2010年、内閣府調査)。過度の疎外感を生み出す要因としては、学校や職場から受ける社会的・文化的プレッシャーが挙げられている。
  8. デザイン誌『アイデアNo.377で組まれた特集「グラフィックデザインの〈め〉新世代デザイナー21人の姿勢」には、鈴木のインタビューが掲載されている。同号では、Us Blah Me Blahが注目している植田正加瀬透三宅瑠人の作品も取り上げられている。
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  9. 宮崎勤は、80年代後半に4歳から7歳の幼女4人を誘拐・殺害し、有罪判決を受けた確定死刑囚。殺人に止まらず食人や死姦に及ぶ残酷な犯罪で世間を震撼させた。逮捕後、2008年6月17日に死刑が執行された。
  10. オウム真理教は、麻原彰晃が1984年に設立し、2000年に消滅した仏教宗教法人。米国、カナダ、ロシアなど諸外国においては、テロリスト集団として認識されていた。1995年には第二次世界大戦以降国内最多の負傷者を出した事件「地下鉄サリン事件凶悪犯罪」を引き起こし、世界に衝撃を与えた。同事件で教団信者が都内地下鉄3線に散布した神経ガスによって、13人が死亡しており、多数が負傷している。人々を魅了し、信者を洗脳するためにオウム真理教が用いた文言、テクノロジー、コミュニケーション術はイスラム国のものと多くの相似点が見られるという。その類似性については、オウム真理教元幹部・ひかりの輪代表の上祐史浩も『トーキョー・ウィークエンダー』によるインタビュー(英語のみ)において言及している(ジャーナリストの水島宏明はオウム真理教とイスラム国の共通点を指摘しており、2015年には上祐がイスラム国との接触を図ったことを『デイリー新潮』で明かしている)。
  11. 東京芸術大学の略称。
  12. 東京藝術大学における専門技術の欠如について、鈴木はツイッターで嘆いている。2017年度デザイン学科卒業式に出席した後、鈴木は「芸大の卒展に行ったが、デザイン科はやっぱりおしなべてどの科よりもよくなく、そのことは自分の時と変わらないままだった…💁‍♂️」とつぶやいた。
  13. The Werkplaats Typografie(ワークプラーツ・タイポグラフィ)は、ArtEZ Institute of the Arts(ArtEZ芸術大学)で提供される修士号の名称。有名なオランダ人グラフィックデザイナーKarel Martens(カレル・マルテンス)が設立したコースで、毎年夏にはイタリア・工業デザイン大学ウルビーノ校(ISIA)と共同でサマースクールを行っている。
  14. OMA(Office for Metropolitan Architecture)とは、オランダ出身の建築家Rem Koolhaas(レム・コールハース)がギリシャ出身の建築家Elia Zenghelis(エリア・ゼンゲリス)とロッテルダムに立ち上げた建築設計事務所。代表作品に、シアトル中央図書館、コンサートホール カーザ・ダ・ムジカ(ポルト、下画像)、中国中央電視台本部ビル(北京)など。
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    近頃では、デザイン・ミュージアム(ロンドン)を手がけている。下記インタビュー(英語のみ)では、コールハースが語るOMAのアプローチから中国中央電視台本部ビルの制作背景、コールハースのジャーナリストとしての活動が紹介されている。
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  15. MVRDV(エムブイアールディーブイ)は、オランダのロッテルダムを拠点とする建築家集団。1993年にNathalie de Vries (ナタリー・デ・フリイス)、OMA出身であるWiny Maas(ヴィニー・マース)とJacob van Rijs(ヤコブ・ファン・ライス)によって設立された。
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    主な作品に、ハノーヴァー万国博覧会 オランダ館(上画像)、まつだい雪国農耕文化村センター(新潟)、住居とショッピングスペースをアーチに集約したマーケットホール(ロッテルダム)など。以下のビデオ(英語のみ)では、MVRDVメンバーが制作アプローチについて語っている。
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  16. Droog(ドルーグ)は、1993年にアムステルダムで設立されたデザインファーム。フリーのデザイナーとコラボレーションを行い、プロダクトからプロジェクト、展示、イベントの制作を手がける。デザイナーの個人的なアイデアやストーリーに着想を得ながら作品を作るコンセプチュアルな制作アプローチが特徴的。以下のビデオでは、Droogが独自のデザインフィロソフィーを説明。鈴木はロンドンの建築家集団Assemble Studio(アッセンブル・スタジオ)によるGranby Workshop(グランビー・ワークショップ)について、Droogのアプローチを連想させる点があるとツイッターでつぶやいた。
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  17. Roland Barthes(ロラン・バルト)(1915-1980)は、フランス出身の哲学者。50年代後半から60年代前半にかけて、構造主義、記号論、ポスト構造主義などさまざまな学派の発展に関わった。Jacques Derrida(ジャック・デリダ)などの指摘を受けBarthesは日本を訪問し、記号およびシンボルの制限に関する自身の所論を発展させたほか、西洋文化にみられる不変性への依存について考えを巡らせた。『表徴の帝国、記号の国』(1970年)において、バルトは日本滞在時に得た発想や思想をまとめている。他にも、Barthesが写真の本質について執筆した『明るい部屋 写真についての覚書』(1980年)は、現在も写真論の古典として広く親しまれている。
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  18. Rem Koolhaas (レム・コールハース)は、1944年11月生まれのオランダ人建築家。ロッテルダムの建築設計事務所OMA(脚注14を参照)の設立者であり、建築雑誌『Volume(ボリューム)』の立ち上げメンバーでもある。鈴木は、Koolhaasとカナダ人デザイナー Bruce Mau(ブルース・モウ)が共同執筆した記事『S,M,L,XL』を読んでおり、Roberto Gargiani(ロベルト・ガルジャーニ)がKoolhaasについて書いた『レム・コールハース|OMA 驚異の構築』についても「日本語に訳されてるので初期の頃からの作品に一番詳しくて読みやすい日本語に訳されてるので初期の頃からの作品に一番詳しくて読みやすい」と述べている。
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  19. 鈴木は、「Architectural Review(アーキテクチュラル・レビュー)」(2014年、英語のみ)においてKoolhaasが述べた、「アングロサクソン版のブランディングとは、あるものを根本的に変化させ、それを人々に押し付けることだ。時間が経つと自らそれに囚われ、身動きできなくなってしまう。だけどもしかすると、矛盾や偶発性を元にした巧妙なブランディングもあるのかもしれない」という言葉を紹介してくれた。
  20. この言葉の真意については、鈴木のウェブサイトで確かめていただきたい。プロジェクト紹介ページでは、各作品のレファレンスやインスピレーションが紹介されている(右手コラム参照)。すべてのレファレンスはタンブラーにも掲載されている。
  21. Raf Simons(ラフ・シモンズ)は、ベルギー出身のファッションデザイナー。2012年までドイツのファッションブランド Jil Sander(ジル・サンダー)のデザイナーを、以降2015年まではChristian Dior(クリスチャン・ディオール)のクリエイティブデザイナーを務めた。
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    現在では1995年に設立した自身のレーベルを運営する他、2016年夏よりCalvin Klein(カルバン・クライン)のチーフ・クリエイティブ・オフィサーとしてコレクションを手がけている。以下は、RafがDiorにて初めて手がけることとなったコレクション(2012春夏オートクチュール)。
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  22. Jonathan Anderson(ジョナサン・アンダーソン)は、2013年よりスペインのファッションブランドLoewe(ロエベ)のクリエイティブ・ディレクターを務めるデザイナー。
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    北アイルランドで生まれ育ったのちに、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション(ロンドン芸術大学)を卒業。2008年には、自身のブランド J.W. Anderson(J.W. アンダーソン)を立ち上げている。下記インタビューでは、JonathanがLoeweでの活動について語っている。
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This interview was posted on XX XX 2017 and was originally conducted in Japanese.

Interview (Us Blah) & Footnotes (Me Blah):
Tsukasa Tanimoto

Translation (Japanese to English):
Tsukasa Tanimoto

Copy-editing (English):
Kate Reiners

Proofreading (Japanese):
Marie Sasago

Translation (English to Japanese):
Marie Sasago

Special Thanks to Calum Bowen.